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震災被災地を訪れて

 前回のエントリで書いたとおり、先週福島県の飯舘村と南相馬市に行ってきました。かたや原発事故による住民避難が行われており、一方は津波による直接的な被害を受けました。

 昨年3月の震災以来、何度となく宮城・福島を訪れましたが、被災地の写真をアップすることがありませんでした。そもそも最初は撮影すら出来なかったのですが、やはり首都圏の人間が興味本位で被災地を見に行ったり話題にすることには躊躇われるものがあったわけです。
 しかし、被災した方からは例外なく「野次馬根性でも構わないから、是非直接見にきて欲しい」と異口同音に言われました。これは昨年6月に東松島市を訪れた際に、私自身も部外者ながら感じたことです。自然の脅威ってものを生身で知る・・・というか「感じる」べきと思い至ったわけです。また、現地の人は現在の実際の状況を知ってほしく、あるいは感覚を共有してほしいということもあるでしょう。

 とはいえ、多くの方が亡くなった場所を写真に収めてブログ上で扱うこと自体にはやはり躊躇いが残るのですが、人の世の常でありマスコミの常でもあるのですが、震災から半年が経ち、首都圏では既に風化が進行している感があります。石巻や気仙沼、あるいは南三陸といった地域はまだニュースになっていますが、それ以外の地域の現状を目にすることは極端に少なくなってきました。
 放射能の話には敏感に反応しますが、被災地がどうなっているかということへの興味はほぼ無くなったんじゃないかと正直感じます。極端な例を挙げると、原発周辺以外は既に復旧が済んでいると勘違いしている人もいました(これは阪神淡路大震災の復興が驚異的に早かったということもあるかも知れません)。
 かく言う私も、かつて被災地をナマで見たので復旧が容易では無いことは知りつつも、その後の正確な状況は知り得ておりませんでしたので、直接見てきたことを記録しておこうと思い至った次第です。




 飯舘村には、いわき市から国道399号線で訪れました。ご存知の通り、飯舘村は福島第一原発事故の影響によって計画的避難地域に指定された地域ですが、前回エントリにて書いた通り特に立ち入り規制はなく、誰でも通過・立ち入りできる状況でした。
 実は昨年秋にも同じルートで訪れたことがありまして、この際はすれ違う車はパトカーばかりでした。今回は随分減りましたが、やはり村内で何台か見かけました。これは立ち入り者の安全のためというより、避難中でほぼ無人の村の防犯が目的でしょう。

【追記】
7/17の午前0時を以て飯舘村の長泥地区が帰還困難区域に指定され、画像の飯舘村・浪江町の境にバリケードが設置されました。これにより、現在は同地域への立ち入りはできない状況です。



 村の中心部には村民は殆どおらず、代わりに防護服を着た集団がいました。国による除染作業が始まってるんでしょうかねぇ。う~ん、半袖でクルマの窓を全開にして走ってるんですけど、自分(;´Д`)



 山しか見えませんが、飯舘村中心部から山一つ南の長泥地区を峠から見た図。こんなにのどかで美しい風景を持ちながら、退去せざるを得ないとは何と悲しいことでしょうか。

 今回は午前中の訪問となりましたが、前回は夕方の訪問でした。既に太陽が山の端に隠れかかった夕刻に飯舘村に入ったのですが、街灯の灯りは点っているにもかかわらず、人家の灯りが全く無いんです。避難しているのだから当然ではあるのですが、深夜の真っ暗とは違い、黄昏時で人気を全く感じないというのは極めて異様であり、正直怖かったです。
 理屈で言えば、私は将来的廃止を前提とした原発継続運用支持の考えなのですが、そんな理屈とは別次元で「一体誰がこんなふうにしてしまったのか」と、やり場のない憤りを感じざるを得ません。


 飯舘村からは県道12号を使って南相馬市まで向かいました。南相馬市自体には個人的な縁故はないのですが、すぐ隣の浪江町には友人が複数名いたこともあり、また国道6号線で何度も仙台~東京を往復したことがあって、個人的に馴染み深い土地だったりします。



 Googleマップより拝借。南相馬市の小高地区近辺の地図です。見てのとおり、何てことのない田園地域だったのですが、、、



 衛星写真で見ると、こんな感じ(汗)。津波で押し寄せた海水が引かず湖になっています。震災直後はもっとひどく、完全に「湾」になっていました。この様子が、衛星画像だけではどうにも理解ができず、一体現地はどうなってんだ?と思い至ったわけです。



 現地は海辺でした。・゚・(ノД`)・゚・。
 見渡す限り田んぼだった場所でしたが、震災から1年経ってもここは海辺でした。



 津波で押し潰されたクルマの残骸が、ただの海辺ではないことを物語っています。
 ここは福島第一原発から約10キロ程の地域となります。今回、事故による立ち入り禁止区域の境までは行きませんでしたが、ここから南に約500m下ったところから浪江町になりますので、恐らくそこらへんが通常に立ち入ることの限界でしょう。
(因みに、この界隈は原発事故による警戒区域に指定されて立ち入りができませんでしたが、今年の4月16日から避難指示解除準備区域(立ち入りは可能、但し宿泊は禁止)となりました)


 同じ地区の駅に行ってみました。常磐線の小高駅です。



 1年以上列車が走っていないレールは赤く錆び、軌道は草むしております。
 小高駅は海岸線から2キロ程度内陸に入ったところにありますが、海岸から遮る山もないことから、駅まで津波が到達したようです。駅の駐輪場には、当日の朝に駐められたのであろう自転車が、今もホコリを被ったまま整然と並んで置かれていました。




 これ以降は半年前の昨年秋の訪問記録になりますが、同じ常磐線の被災駅ということで、宮城県内の山下駅の状況も。山下駅南の踏み切りから駅構内を撮影しました。架線柱は残っていますが、架線は撤去されています。復旧の見込みが無いからか、それとも被害が甚大だったからかは不明ですが、線路すらも撤去されていました。



 山下駅前の電話ボックス。山下駅は海岸から僅か1キロで、小高駅と違ってさらに海岸まで平坦な土地であるため、モロに津波被害を蒙ったようです。電話ボックスの3分の2くらいの高さのところ(左のシールが貼ってある少し下あたり)に線がありますが、津波による浸水の跡です。この高さまで海水が滞留していたという証ですね。当然、電話は使用中止となってました。

 常磐線は現在広野~原ノ町間と、相馬~亘理間が今なお不通となっています。前者は原発事故による立ち入り不能のためで、後者は津波被害が甚大であることとですが、路線位置そのものを変更することも検討しているようで、どうも地元でもモメてるようです。あと、3,4年は少なくとも運転再開できないであろうとも聞きました。





 津波の被害が甚大だった宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)地区。10年以上前に会社を辞めてしばらくプーさんしていた頃、私は名取市の友人宅に2ヶ月ほど居候させてもらってまして、家主の彼を仕事に送っていった後に、この辺りをクルマでウロウロしたことがありました。
 この画像の場所は東禅寺と観音寺の間の細い路地を出たところでして、当時この交差点は見通しが悪く、自転車に乗ったお爺さんと危うく衝突しそうになり、「寺に直行するとこだったナァ」なんて会話をしたので明確に覚えているのです。
 GoogleMapで見るとココになるのですが、マップでは家や商店が密集していますが、現在はご覧の通り何もありませんね。あ、上の画像の左側に建物が残っていますが、これは七十七銀行の閖上支店です。爺さん、無事だといいなぁ。。。
 閖上に限らず、名取市は仙台東部有料道路より海側はほとんど津波で流されていました。震災後半年経っても、まだ陸地に打ち上げられた船が点々と残っていたことに驚きましたね。


 被災地域が一極集中で、かつ経済的に重要地区だった阪神地区と違い、被災地域が広範囲に亘り、かつ元々都会への人口流出に悩む地域が多い東北の被災地は、長く辛い戦いを強いられそうです。冒頭でも書きましたが、被災地支援という考え方とは別に、自然災害による被害というものがどういうものであるのかを身をもって知るという観点からも、被災地をナマで見てみることは大切なことだと思います。


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PCやクルマ等のイジり、それにビールと深夜徘徊を愛する。酸いも甘いも辛いも何でも食うロクでなし。

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