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地図で見る今昔 ~市川・小岩篇~

 Twitterでフォロワーさんから「今昔マップ on the web」という面白いサイトを教えてもらいました。過去と現代の地図とを比較閲覧できるサイトで、過去分は明治時代から現代まで10の時代に区切った各時代を閲覧できます。

 古地図の閲覧は、かつては神田とかの古書街で自分で探してくるか国土地理院に申請して有料で写し(コピー)を入手するしかなかったのですが、インターネットの発展で随分容易に見ることができるようになりました。このサイトの更に凄いところは、「過去地図の特定の位置が現在ではどこにあたるか」をリアルタイムで見ることができるところです。
 これで近所を見てみてビックリしました。旧来(江戸時代)からの街道と思っていた幹線道路が、実は案外新しく作られた道だったのでした。

※というわけで本記事で用いている地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。
 



 現在のJR総武線付近の東京都と千葉県の県境付近。地図では画面右下のJR市川駅前を起点として、国道14号が総武線沿いに江戸川に向かい、市川広小路で松戸街道と分岐しており、市川橋を渡って東京都に至っています。
 国道14号は東京都に入って江戸川交差点で左折方向にクランクして南西方向に向かっていますが、これはかつての「千葉街道」の名残で、現在では実際の交通の流れは直線で進んだ都道60号(蔵前橋通り)にシフトしています。

 で、この場所が明治時代の地図ではどうなっているかというと、、、



 市川橋がないんですわ(;´Д`)
 千葉街道は現在の市川広小路のあたりで右側に曲がっており、つまり松戸街道の一部がかつての千葉街道の本筋だったわけです。また東京に入ってから南西方向に向かう千葉街道は変わりありませんが、蔵前橋通りは元となる路地や畦道もなく、文字通り影も形も無かったようです。
 ついでに言うと京成電鉄もまだ開業してないんですが(笑)、それ以前に総武線の橋梁以外に「橋」というもの自体が無いんですよね。地図をよぉ~く見てみると渡し舟のマークが入っています。この頃はまだ江戸川には多くの渡し舟があり、総武線と常磐線との3キロ程度のわずかな間で、この市川の渡しの他、栗市渡し・下矢切渡し・上矢切渡しと、計4つもの渡し舟があったのでした。(下矢切渡しが、今も残る「矢切の渡し」です)



 大正時代の地図。京成電鉄が開業し千葉街道にも橋が架かりましたが、相変わらずルートは北側に湾曲したままです。やはり現在の蔵前橋通りの筋は全く見られず単なる畑(笑)。現在の地図は実際の交通の流れを考えたら疑問に感じる表記なのですが、こうした歴史的経緯があるわけですね。



 昭和に入ってようやく市川橋が架かりました。治水対策からか、この時代で東京都側の堤防が大幅に西側に移動しており、恐らく現在と同じ位置になったものと思われます。河川敷は田んぼで旧道の脇は池になっています。現在の小岩菖蒲園はこの名残なんでしょうかね??
 ご覧のとおり蔵前橋通りはまだ出来ていません。この時代の蔵前橋通りは亀戸天神前までで、現在の明治通りの部分でどん詰まりになっていました。戦争を経て戦後になってからも主に河川部分でブツ切り(橋無し)の箇所が多く、現在の状態を確認できたのは1975~78年の地図と、実に昭和50年代まで待たねばなりませんでした。これは意外でしたね~。



 せっかくなのでフィールドワークをば。
 市川駅側から見た現在の市川広小路交差点。右側が松戸街道で、昔はこの松戸街道が国道14号(千葉街道)であり、画像左側の市川橋に至る道は無かったということです。



 松戸街道側から見た市川広小路交差点。ご覧の通り車道は交差点手前で不自然に右側に曲がっていますが、歩道はデルタ状に空き地がある状態です。恐らく昔はこの歩道部分が現在の松戸街道に向かう道だったのでしょう。



 京成国府台駅手前の松戸街道の様子。かつての千葉街道と松戸街道の分岐点跡です。真ん中のトラックが止まっているあたりで道はどん詰まりのT字路になっていて、駅に向かう右側の小さな道が旧松戸街道で、今は道がありませんが左に旧千葉街道の道があったのでしょう。
 明治・大正時代の地図を見てみると、京成電車のガード下は川岸だった模様です(昭和に入ってから埋め立てられた模様)。アンダーパス部分だけでなく少し先まで低地である理由がこれで判明しました。現在の松戸街道の主筋の道は1975~78年の地図でようやく確認できました。こちらも意外と新しいんですね。



 小岩側から見た江戸川河川敷。旧千葉街道は画像の赤線部分だったと推測されます。現代風に整備された堤防にも野球場となった河川敷にもかつての街道跡を窺わせる遺構は何もありません。もしかしたら、川の中には橋脚の台座とかが残ってたりして??



 東京側の旧街道跡は路地として残っています。かつての主街道とはとても思えない、単なる路地でしかないですけどね(^_^;



 旧千葉街道が南西方向に左折する地点。全くもって極々フツーの路地であります。ここから蔵前橋通りの江戸川交差点までの道は「御番所町跡」という江戸川区登録史跡とのことで、それを示す案内看板も江戸川区教育委員会によって設置されていました。



 旧千葉街道と現千葉街道の合流する江戸川交差点。旧千葉街道は画面真ん中の歩道橋の下をくぐって出てきます。この小さな一方通行の道を旧街道だったと一発で分かる人はおりますまい(^_^;


 そんなわけで突発タモリ倶楽部ごっこはここまで。古地図は見てるだけでも楽しいですが、フィールドワークにも出たくなる魔力を持っていますね(;´Д`)
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Comment

No title

わー、国府台に下宿していた身としては懐かしい写真がががw
あそこら辺は原付とかの小さいバイクで走り回るにはちょうど良いんですよね、懐かしいなぁ。

※市川側を川沿いにもう少し北上すると矢切の渡しになりますけど、そこから内地に向かう途中に伊藤左千夫の『野菊の墓』の碑があります。
当時は文学青年を気取っていたので、見つけたときはテンション上がりましたw

お、引っ掛かった!

>化け先生
元地元としては懐かしいでしょ(´∀`)
「小さいバイクで走り回るにはちょうど良い」というのは、言い換えるとクルマだと辛い場所なんですよね(笑

>野菊の墓の碑
聖子ちゃんキターw(違
他にも井上靖とか永井荷風が居住していたとか、市川は文学との親和性が高いんですよね(・∀・)
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Author:猫提督
PCやクルマ等のイジり、それにビールと深夜徘徊を愛する。酸いも甘いも辛いも何でも食うロクでなし。

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